毒親に育てられた私と母親の話

毒親に育てられた私と母親の話を書いていきます。時系列はバラバラになりますが子供の頃〜18歳で家を出るまでのことが中心。たまに自身の育児関連を書いていきます☺︎

毒親に育てられた私と母親の話。【バイト③】

毒親に育てられた私と母親の話。【バイト③】

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今回も前回の続き、バイトをしていた時のことを書いていきます。

 

 

母は私服でバイト先に行くことにこだわっていた理由がここで判明します。

ちなみに私服は母が指定したものでダサかったです笑

 

バイトを2年ほど続けた時に、

仲が良くなった23歳の人と付き合うことになりました。

そのことがバレたら、母に怒られると思い黙っていたのですが、

その彼は頻繁に連絡をしてくれる人でした。

 

携帯を常にチェックされていたため、

頻繁に連絡をされると母に見られてしまうのではないかとヒヤヒヤしていました。

 

ある日、「出勤が被ったからバイト前に迎えにいくよ」とメールが来ていたようでした。

私が準備をしている時に母が先に見てしまい、消されていたようで私は気が付きませんでした。

 

 

たまたまその日は早く行こうと思っていたので

家を早く出たため彼とはすれ違ってしまいました。

 

彼はメールした通り、私のことを家の近くまで迎えにきたようでしたが、

私を待っていた時に、母と会ってしまったそうです。

 

後から彼に聞いたのですが、

「未成年に手を出すな。」「今から警察にいく」「訴える」「変態」などといわれたようです。

 

彼とは母が原因で申し訳なくなり別れたのですが、

「前に制服でバイト先に言ったから変な男に好かれるんだ」、

「あいつは変態だ」「制服姿を見てから付き合う男はみんな変態」などと言っていました。

制服ではなく、私服でバイト先に向かわせるのは、

男が心配だったようです。

心配というか、自分の所有物を取られるのが嫌でわざとダサい服を着せてバイトに行かせていたようです。

 

今回はこれでおしまいにします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【バイト②】

毒親に育てられた私と母親の話。【バイト②】

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今回は、前回の続きのバイトをしていた時のことを書いていきます。

 

 

母との約束で、バイトに行く時は一回家に帰って私服に着替えてから行くようにと言われていました。

 

母の言う通り、一度家に帰って着替えてからバイトに行っていました。

 

一度、学校でやることがあり一度家に帰っていたらバイトに遅れてしまうと思い、

母に学校が終わったらそのままバイトに行くとメールをしました。

 

バイト先について着替えてすぐに仕事をしていたため、

母からの連絡に気が付きませんでした。

 

バイトが終わり、携帯を見ると母から電話、メールがたくさん来ていました。

 

終わったと連絡をしようと電話をしたら、

「今どこ、なんで一回帰ってこなかった」などと言っていたため

「今バイトが終わったところで、遅刻をしそうだったからそのままバイト先に行きました。」と伝えました。

 

 

すると、

「そんなことはわかっている、言い訳をするな」と言われてしまいました。

 

家に帰ると母はずっと怒っており、

話も聞いてくれませんでした。

 

着替えた行かなかったことが、

よっぽど気に入らなかったみたいです。

 

私はなぜそんなに

母が制服ではダメで私服で行くことにこだわっていたのかわかりませんでした。

今後そのことについては書いていきます。

 

いつも母に聞かれたことをただ答えただけなのに

「言い訳をするな」といわれていました。

 

バイト先のことでは他にもいろいろありました。

また次回書いていきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【バイト①】

母親に育てられた私と母親の話。【バイト①

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今回は、高校生の時に始めたバイトの話を書いていきます。

 

 

高校受験で私立にしろと言った母でしたが、

色々費用などが高いとわかった母は高校に入ったらバイトをしろと言ってきたため、

バイトをすることにしました。

 

私の入った高校は、バイトが禁止だったのですが

家庭の事情などでしなければならないと申請をすれば許可がでてバイトをすることができました。

 

申請をしないとバイトができないと

母に伝えると「なんで?面倒な高校に入ったな」などと言われました。

 

学校から許可がおりて、どこのバイトにするかを考えていたところ、

近くのファミレスが募集をしていたため、

そこの面接を受けることにしました。

 

学校の帰りに面接を受けにいくと母に伝えると

「制服のまま行くなんてありえない、家に一回帰ってきて着替えてからにしろ」と言われたため、何がありえないのかわかりませんでしたが、仕方なく家に一旦帰り着替えてから面接に行くことにしました。

 

バイトの面接に行き、すぐに採用が決まったためそこでバイトをすることに決めました。

 

家に帰り、母に今日面接したところに決まったよと伝えると早く決まったので嬉しそうでした。

バイトが決まり、母からバイトで稼いだ給料は携帯代、自分の部屋のエアコン代、食費、授業代分はもらうと言われました。

 

 

稼いだ分は、ほぼ母に渡すことになりました。

 

エアコン代は、自分がどのくらい使ったのかなんてわからず、

余計に取られそうだなと思ったわたしは、

どんなに暑くても寒くてもエアコンを使うすることをやめることにしました。

 

なのに、母は私からエアコン代をもらおうとしていたため、

私の部屋ではエアコンは一切使っていないと伝えると、

じゃあ、妹が使っている分を払えと言われてしまいました。

 

なぜ、自分が妹の分を払わなければならないのかわかりませんでしたが

逆らうことができず、払うことになってしまいました。

 

携帯代、食費、授業料は納得していましたが、

エアコン代だけは納得いきませんでした。

 

 

今回はここまでにします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

毒親に育てられた私と母親の話。【中学生の時の髪型】

毒親に育てられた私と母親の話。【中学生の時の髪型】

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前回は小学生の時の髪型についてでしたが、

今回は中学生の時の髪型の話を書いていきます。

 

 

小学生の時は、ロングでしたが途中からショートと母に決められていました。

 

中学入学する前にも一度ショートにしましたが、

部活を始めたら土日は部活で美容院に行く暇があまりなく、

気がついたらロングになっていました。

 

いつもそんなに高い位置でないポニーテルで過ごしていましたが、

一度友達に「一緒にお団子にしようよ」と言われて、

友達がお団子にしてくれました。

 

お団子のまま帰宅して、

お団子にしているわたしを見た母は、

「何、色気づいてるんだ。気持ち悪い。」と言われました。

友達とお揃いなのと伝えると、

「お前と仲良くしてくれる友達なんかいるんだね」「しょうもない友達なんだろうな」などと言われました。

 

土日で部活が休みの日があり、

髪を切りに行くよと美容室に連れられました。

 

母はショートでと美容師さんに頼んでいましたが、

私はショートが嫌だったので、せめてショートボブがいいと美容師さんにこっそり伝えました。

 

ショートボブになった私を母が見てなんでもっと短くできないの?などと文句を言っていましたが、時間がなかったためそのまま帰ることになりました。

 

時間があったら多分ショートにされていました笑

 

 

次の日学校に行くと、

その髪型の方が可愛いよなどと友達からの評判が良く機嫌よく帰宅したところ、

なんでそんなに機嫌が良さそうなのかを母に聞かれ、

髪型を友達に褒められたと言うと、

「気持ち悪い、お世辞に決まってるじゃん」などと言われました。

 

それ以来、髪型は母の気分で決められていました。

ポニーテール、お団子は基本的にダメで

下の方で2つ結びを指定されていました。

 

母は私が、誰かに褒められたりするのが気に入らないみたいでした。

 

私が褒められたりしているのを見たり聞いたりすると、

「気持ち悪い」「調子にのるなよ」などといつも言っていました。

 

今回はここまでにします。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【小学生の時の髪型】

毒親に育てられた私と母親の話。【小学生の時の髪型】

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今回は、母が決めていた私の髪型について書いていきます。

 

  

前にも書きましたが、

母は私のことをなんでも決めたがっていました。

 

服装だけでなく、髪型も決められていました。

 

小1〜小4まではロングでした。

朝、母が髪を結わいてくれていました。

必ず、三つ編みにおでこは丸出しでした。

私は、その髪型がとても嫌いでした。

 

他の子は、ポニーテール、ツインテールなどで可愛いなと思い、

母に、ポーニーテールをしたいと小4の時に言ったことがあります。

 

 

それを言った週末、

「美容室行くよ」と母に言われ長いから少し切るんだなと思い、

美容室に行くことにしました。

 

すると、私は少しだけ切るのかと思っていたのですが、

母はショートにしてくれと頼んでいました。

 

ショートにするなんて思っていなかったため驚きました。

 

母になんでショートにするのかと聞いたら、

「ポニーテールがいいとか言うからムカついた」と言われました。

 

それから中学に入るまではショートでした。

伸ばしたいと言っても、「乾かすのがめんどくさい、電気代の無駄。」などと適当に理由をつけられて許してもらえず少しでも伸びたら切りに行ってました。

 

今回は短いですがここまでにします。

次回は、中学生の時に決められたいた髪型について書いていきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【誕生日②】

毒親に育てられた私と母親の話。【誕生日②】

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今回は、前回の続き誕生日のことを書いていきます。

 

 

前回の話以来、誕生日をあまり祝ってもらえなくなりました。

 

誕生日プレゼントは、父が何がいい?と聞いていてくれたため、

買ってはもらえましたが、

毎回母が勝手に決めていました。

私が欲しいものではなく、小学生の時は鉛筆、消しゴム、ノートなど、

中学生になると、シャーペン、消しゴム、ノート、ブラウスになっていました。

 

文房具は必要ですが、自分のお小遣いで可愛くて好きなものを買えるし、

誕生日に母が選んだものは、地味で可愛くないものだったので不満でした。

 

不満そうにしていると怒られるのでなにも言えませんでした。

 

 

父に本当に文房具でいいのかを聞かれると、

母が「これがいいんだって」と答えていました。

 

一方妹の誕生日プレゼントは、好きなものを選んで買ってもらっていました。

 

母は、妹のことがあまり好きではなさそうだったのですが、

誕生日、クリスマスなどの時にわざとらしく妹と私のプレゼントの差を見せてきました。

 

ケーキも同じで、

妹はケーキが毎年ありました。

いつも妹が選んでいましたが、私の時は毎年ではなく母の気分でした。

ないことの方が多かったです。

もちろん、私には選ばせてもらえず母が食べたいものを買っていました。

 

中学生になると、もう別にいいやと思うようになり、

誕生日にケーキを食べることはなかったです。

 

 

私の誕生日はどうでも良さそうでしたが、

母は自分の誕生日になると、ケーキやプレゼントのことをとても気にしていました。

 

忘れてるんじゃないかと思うと、

忘れてないよね?と確認されていました笑

 

父も大変だったろうなと思います。

 

ちなみに、小5あたりから誕生日おめでとうと母に言われたことはありません。

自分が祝われなかった時はとても怒るのに・・・。

 

今回はここまでにします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【誕生日①】

毒親に育てられた私と母親の話。【誕生日①】

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今回は、子供の自分の誕生日の時のことを書いていきます。

 

 

 子供の時、誕生日を母親に祝ってもらった記憶が、

小3ごろからありません。

 

祖母の家で誕生日を祝ってもらった際に、

具合が悪かったのですが、

祝ってもらっているのに具合が悪いとは言えずに過ごしていました。

 

具合が悪かったけど、楽しかったことは覚えています。

 

誕生日ケーキは、私の好きなチーズケーキでした。

食欲はあったため普通に食べましたが、

帰りにものすごく気持ちが悪くなってしまいました。

 

母に言うと怒られそうだなと思い、父に伝えましたが、

父はどうしたらいいのかわからず、母に伝えてしまいました。

 

 

それを聞いた母はイライラしながら、「なんでもっと早く言わないんだ、具合が悪いのにケーキなんか食うから悪いんだ。」と怒られました。

 

気持ち悪く吐きそうな中、

早く帰りたいからと無理やり電車に乗せられずっと吐くのを我慢していました。

 

最寄り駅に着き、

トイレで吐いてきたら?と父に言われトイレに行き吐きました。

 

母がドアの前で待っていて、

出てきた瞬間、「せっかくばあちゃんが用意してくれたのにもったいない、最低だね」と言われました。

 

このこと以来、誕生日を祝ってもらったことがありません。

 

このこと以降のことは次回書いて行きます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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