毒親に育てられた私と母親の話

毒親に育てられた私と母親の話を書いていきます。時系列はバラバラになりますが子供の頃〜18歳で家を出るまでのことが中心。たまに自身の育児関連を書いていきます☺︎

毒親に育てられた私と母親の話。【初めての賞状】

毒親に育てられた私と母親の話。【初めての賞状】

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今回は、私が初めて賞状をもらった時の話を書いていきます。

 

 

小1の時に一度絵を描いて賞状を学校でもらったことがあります。

 

小1で初めての賞状で先生にも褒められとても嬉しかったことを覚えています。

勉強が、小1の時点であまり得意ではなく絵をたくさん描いていました。

母も絵を描くのが好きですごく上手だったので、

母みたいに絵が上手になりたいなと思っていました。

 

母も絵を描くことが好きなのは知っていたので、

この賞状を母に見せたら喜んでくれるだろうなと思いワクワクしながら帰宅しました。

 

帰宅し、早速母に賞状を見せると、

「賞状もらえるなんてすごいじゃん!」と褒めてくれました。

褒めてもらえた時はすごく嬉しかったです。

 

ですが、母は何の賞状かを知った時に、

「え??図工???なんの役にも立たないじゃん。絵を描いて賞状もらっても意味ないよ」と言われてしまい、破られてしまいました。

普通にショックでした。

 

それ以来母に絵を描いて見せてもあまり褒めてもらえなかったです。

絵を描くことよりも勉強、スポーツをやれとよく言われていました。

 

母がおかしいと感じ始めたのは、小4あたりからでしたが、

よく思い返すと幼い時からおかしいなと今は思います。

 

短いですが、

今回はこれでおしまいになります。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばあさんのお家②】

毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばあさんのお家②】

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今回は前回の続きで、【近所のおばあさんのお家】の続きを書いていきます。

 

 

 学校を早退し、おばあさんの家に行った私を迎えにきた母は、

迎えにきてすぐに、

私のことを殴りました。

今回は完全に自分が悪いので、

殴られることも、怒られることもわかっていました。

 

その時の私は、

悪いことをしたら殴られ蹴られるのが当たり前だと思っていましたが、おばあさんの言葉で悪いことをしたら殴られる、蹴られるのはおかしいことなんだなと思いました。

 

殴った母をみたおばあさんは、

「いきなり殴るなんておかしい、まず子供の話をきちんと聞くべき。」

「私もお母さんに連絡をしなかったのはごめんなさい、一番に連絡をすべきでした。」と

おばあさんは母に謝っていました。

 

母に私の話を聞いてもらうことなんてなく、殴られるのが当たり前だったため、話を聞くべきと言ったおばあさんの言葉に驚きました。

 

私も母に「私が勝手におばあさんの家に行った。」「ごめんなさい」と言いましたが、

母はもう私よりもおばあさんに腹が立っていて私のことなんか無視でした。

 

私が勝手にした行動でしたが、

おばあさんのせいにしたく、

「誘拐だ、警察に言う。」などとおばあさんに言っていました。

 

おばあさんにひたすら暴言を吐いていたのですが、

幼馴染のお母さんがたまたま近くを通り、

何事なの???と聞いて、

「もう帰ろう、謝ってるし今日はおしまいにしよう」と言いその時はその場を離れることに。

 

私は無理やり母に腕を引っ張られ家まで連れて帰られました。

引っ張られながらも振り返り見た、その時のおばあさんの悲しい表情が忘れられません。

 

私がおばあさんに会ったのはそれが最後でした。

ここで完全に、私の居場所は無くなってしまいました。

迷惑をかけたくなく、幼馴染に行こうと誘われても行きませんでした。

 

母は、家に帰った後は、気がすむまで暴言を吐き、殴り蹴りました。

 

しばらくは、おばあさんの悪口を言ったり、

思い出して腹が立ってきたから今から警察に行こうなどとよく言っていました。

 

おばあさんと会わなくなって、2年ほどが経ったある日、

地域の掲示板に、おばあさんが亡くなりお葬式の案内が張り出されていました。

 

それに気がついた母は、

「やっと死んでくれた。よかった。」「お前もよかったね、話を聞いてくれる人がいなくて嬉しいね」などとよくわからないことを言っていました。

 

いくら嫌いだとしても、人の死を喜ぶ母を軽蔑しました。

 

その後もおばあさんの住んでいた家が

近所の火事の火が飛び火事になったことがありました。

その時も母は、家が燃えたのをよろこんでいました。

 

この人異常だなと子供ながらに思いました。

 

おばあさんとの話はこれでおしまいです。

おばあさんが亡くなる前に、おばあさんに謝ることができなかったことを後悔しています。

 

長くなりましたが、

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばあさんのお家①】

毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばさんのお家①】

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今回は、私の唯一の逃げ場だった近所のおばあさんの話を書いていこうと思います。

 

 

学校にも家にも居場所がなかった私は、近所に住んでいたおばあさんの家に行くことがよくありました。

 

最初の頃は、そのおばあさんのことを教えてくれた幼馴染とよく行っていましたが、そのうち私一人でも行くようになりました。

 

母にはおばあさんの家に行っていることは秘密にしていて、

学校帰りや、学校から帰ったあと友達と遊ぶといいおばあさんの家に行っていました。

 

おばあさんは、私のことをとても可愛がってくれていました。

私もおばあさんのことが大好きで、おばあさんには学校のこと、家のことなどなんでも話していました。

 

学校、家に居場所がなかった私にとっておばあさんの家は

唯一の居場所となっていました。

 

一度、学校で具合が悪くなり早退をしたことがあります。

でも家に帰りたくなく、家には誰もいない、鍵を持っていると先生に嘘を言い、

家に帰ったら学校に電話をすることを条件で早退をすることにしました。

 

 私は早退し家に帰ることはなく、

 

おばあさんの家に行くことにしました。

 

おばあさんの家に着き、おばあさんの家から学校に電話をしました。

 

おばあさんの家で休んでいたら、

学校からおばあさんの家に学校から電話がかかってきました。

 

学校からだよと言われ電話を変わると、

「今どこの家にいるんだ、具合はどうかと家に電話をしたらお母さんが出て早退したことはしらない、家には帰ってきていないと言っている。」とのことでした。

 

おばあさんに、「大丈夫だから、先生に正直に話しなさい」と言われ、

電話で先生に正直にどこどこにいると話しました。

 

先生に話したあと、すぐに母に連絡がいきました。

 

どこにいるのかわかった母は、おばあさんの家まで迎えにきました。

 

私は、母が迎えに来るまでの間、怖く怖くて、泣きじゃくっていました。

おばあさんは、「大丈夫、おばさんがはなしてあげるから。」と言ってくれました。

 

 

長くなるので、

母が迎えにきた後のことはまた次回書きます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生③】

毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生③】

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今回も前回の続きの小4の時の担任の話を書いていきます。

 

 

前回、髪を引っ張り引きずられわたしをどこかに連れていこうとした先生は、

「俺がおかしいとか思ってるんだろ、おかしいと思ってるなら今から校長室に言って話してこいよ。」と言われ校長室の前まで連れて行かれました。

 

校長室のドアを開けて、言おうと思ったら

校長先生はおらず、振り返ると担任はクスクス笑っていました。

 

「校長がいるところにお前を連れていくはずないだろ、バカか。」

などと言われました。

 

また髪を引っ張られ教室に連れ戻されると、

「今日のことを両親に言ったらどうなっても知らない、言うなよ」

と言われその日は帰されました。

 

いつもより帰宅時間が遅かったので

母は機嫌が悪くなっていました。

 

他にも機嫌が悪くなる原因があったらしく、

その日は、何か悪いことをしていなくても母は私に暴力をふるってきました。

 

小4の時の私は、

家にも学校にも居場所がありませんでした。

 

学校では、担任からの嫌がらせや暴力はエスカレートしていきました。

そのことはまた書いていこうと思います。

 

こんな状況なので家にも居たくない、学校にも行きたくないと

毎日思っていました。

 

一度だけ学校に行った後、具合が悪いといい早退をしたことがあります。

家には誰もいない、鍵を持っているからと嘘を保健の先生にいい、

帰宅をしたら、学校に電話をすることを条件で帰ることになりました。

 

次回はこのことを書いていきます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生②】

毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生②】

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 今回は、前回の続きを書いていこうと思います。

 

 

 母を学校に呼び出された次の日、

私は普通に学校に行きましたが、その日も宿題を持っていくことができず・・・。

 

そのことを先生に伝えると、

教室にみんながいる中で髪の毛を引っ張られ教室の外に引きずり出されました。

 

先生はクラスのみんなに

「こいつ忘れ物多いのお母さんのせいにしてるんだよ」と笑いながら言いました。

 

その日からクラスに私の居場所がなくなりました。

 

机の位置も、他のみんなとは違い先生の机の真横になり、

授業も給食を食べる時も先生の真横でした。

 

私はクラスのみんなの笑い者にされ、

それは他のクラスにも知られてしまいました。

 

また別の日、

髪を引っ張られた時に私は反抗しました。

放課後残るようにと言われ、

放課後、教室に残って先生を待っていました。

 

先生が教室に来るころには、

他の児童、先生はほとんど帰っていました。

 

なにを言われるのか

わからずビクビクしていると、髪を引っ張られ教室の外に出され、

転ぼうがどんなに反抗しようが先生は気にせずそのまま私を引きずり

どこかに連れていこうとしていました。

 

他に先生も児童もいなかったので止めてくれる人はいませんでした。

 

長くなるので、また続きは次回書きます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生①】

毒親に育てられた私と母親の話。【小4の時の担任の先生①】

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前回は高校受験の話だったのですが、

今回は溯って、小4の時の担任について書いていこうと思います。

 

 

前にも書いたのですが、私は小4ぐらいの時に母の嫌がらせで、

宿題、ノート、教科書を破られたりしていました。

 

そのことについて、毎日のように忘れ物をしていると思われたくなくて、

一度担任に相談をしたことがあります。

 

先生に相談をしてすぐ、

「お前のお母さんがそんなことするはずないだろ、嘘をつくな。」と言われてしまいました。

 

さらに、先生は私がこういっていると母に電話をされ、

母を学校に呼び出しました。

 

その日の放課後に、母は学校にきました。

教室に入ってきた時は、普通だったのですが

母は先生に見えないように睨んできました。

あの時の表情は忘れません。

 

私が母に教科書とかを破かれるといっていたことを

母に担任が言うと、

母は、「そんなことしません、この子が自分でやったか、妹との喧嘩でやられたんだと思います。」と平気で嘘をつきました。

 

担任は母の言うことを信じ、

その日はすぐに帰れましたが、母と一緒に帰ることが恐怖でした。

 

母は帰宅途中にブツブツ何か言っていましたが、

聞き取れませんでした。

 

家に帰ると母は、

「先生にチクるなんて頭どうかしているんじゃないか。

2度と呼び出されるようなこと、余計なことを言うな。」と言われました。

 

母は、その日はあまり怒らず暴力は振るってきませんでした。

 

問題は次の日、学校での出来事でした。

 

続きは、また次回書いていこうと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

  

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毒親に育てられた私と母親の話【高校受験②】

毒親に育てられた私と母親の話【高校受験②】

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今回は前回の続きの高校受験の時のことを書いていこうと思います。

 

 

前回、高校説明会に行き、私立の女子校を気に入った母は、

「別に公立の前期は受けてもいいけど、 入るのは私立ね。」と言いました。

 

今は多分ないのですが私の時は、特色化と言うものがあり

部活推薦みたいなものがありました。

それを受ければ公立に入れるよと先生に言われていたのですが、

思ったよりも人数が多く残念ながら落ちてしまいました。

 

その報告を母にした時、母はとても嬉しそうでした。

後期も受ける予定でしたが、

受けることは許されず母の言いなりで私立に入ることになりました。

 

高校に入る準備をするまでの間の母は

とても機嫌が良く私に当たることはあまりありませんでした。

 

ところが、

高校のものを買い揃える時に、

機嫌の良かった母の機嫌は一気に悪くなります。

 

 

私立なので指定のものが多く、値段も安くはなかったのでそこに文句を言い始めました。

 

母が決めた高校なのに、

母は、「お前がバカで公立落ちたからこんな金がかかるんだ」と言いました。

 

私が公立落ちたのも悪いですが、

そもそもで後期は受けさせない、私立にしろといってきたのに、

全部私がバカなせいにしてきました。

 

毎日、お前のせいで生活費を抑えなきゃいけない、

高校入ったらバイトをして金を返せなどいってきました。

 

それから、高校に入るまでの間

母は毎日のようにバイトは決まったの?といってきました。

中学も卒業していないのにバイトなんてできるはずなく

毎日キレながらいってくる母の言葉に耐えるしかありませんでした。

 

母は、いつも自分の思った通りにいかなかったり、

少しでも気に入らないことがあるとすべて私のせいにしていました。

 

私も悪いな。と当時は思いましたが、

今はそんなことは思いません。

 

今は、母の言いなりになっていた私はバカだったなと思います。

 

今日はここまでにします。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 

 

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