毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばあさんのお家②】
毒親に育てられた私と母親の話。【近所のおばあさんのお家②】
今回は前回の続きで、【近所のおばあさんのお家】の続きを書いていきます。
学校を早退し、おばあさんの家に行った私を迎えにきた母は、
迎えにきてすぐに、
私のことを殴りました。
今回は完全に自分が悪いので、
殴られることも、怒られることもわかっていました。
その時の私は、
悪いことをしたら殴られ蹴られるのが当たり前だと思っていましたが、おばあさんの言葉で悪いことをしたら殴られる、蹴られるのはおかしいことなんだなと思いました。
殴った母をみたおばあさんは、
「いきなり殴るなんておかしい、まず子供の話をきちんと聞くべき。」
「私もお母さんに連絡をしなかったのはごめんなさい、一番に連絡をすべきでした。」と
おばあさんは母に謝っていました。
母に私の話を聞いてもらうことなんてなく、殴られるのが当たり前だったため、話を聞くべきと言ったおばあさんの言葉に驚きました。
私も母に「私が勝手におばあさんの家に行った。」「ごめんなさい」と言いましたが、
母はもう私よりもおばあさんに腹が立っていて私のことなんか無視でした。
私が勝手にした行動でしたが、
おばあさんのせいにしたく、
「誘拐だ、警察に言う。」などとおばあさんに言っていました。
おばあさんにひたすら暴言を吐いていたのですが、
幼馴染のお母さんがたまたま近くを通り、
何事なの???と聞いて、
「もう帰ろう、謝ってるし今日はおしまいにしよう」と言いその時はその場を離れることに。
私は無理やり母に腕を引っ張られ家まで連れて帰られました。
引っ張られながらも振り返り見た、その時のおばあさんの悲しい表情が忘れられません。
私がおばあさんに会ったのはそれが最後でした。
ここで完全に、私の居場所は無くなってしまいました。
迷惑をかけたくなく、幼馴染に行こうと誘われても行きませんでした。
母は、家に帰った後は、気がすむまで暴言を吐き、殴り蹴りました。
しばらくは、おばあさんの悪口を言ったり、
思い出して腹が立ってきたから今から警察に行こうなどとよく言っていました。
おばあさんと会わなくなって、2年ほどが経ったある日、
地域の掲示板に、おばあさんが亡くなりお葬式の案内が張り出されていました。
それに気がついた母は、
「やっと死んでくれた。よかった。」「お前もよかったね、話を聞いてくれる人がいなくて嬉しいね」などとよくわからないことを言っていました。
いくら嫌いだとしても、人の死を喜ぶ母を軽蔑しました。
その後もおばあさんの住んでいた家が
近所の火事の火が飛び火事になったことがありました。
その時も母は、家が燃えたのをよろこんでいました。
この人異常だなと子供ながらに思いました。
おばあさんとの話はこれでおしまいです。
おばあさんが亡くなる前に、おばあさんに謝ることができなかったことを後悔しています。
長くなりましたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。