毒親に育てられた私と母親の話

毒親に育てられた私と母親の話を書いていきます。時系列はバラバラになりますが子供の頃〜18歳で家を出るまでのことが中心。たまに自身の育児関連を書いていきます☺︎

毒親に育てられた私と母親の話。【高校受験①】

毒親に育てられた私と母親の話。【高校受験】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

 今回は、高校受験の時のことをかいていこうと思います。

 

 

 

私は、中学2年の途中で入りたい高校が2つまで絞ってありました。

1番入りたい高校は、特殊な高校でいろんな学科が有りました。

圏外でしたが、その中に私が将来やりたいことに結びつく学科があったのでそこに入れるようにと頑張ろうと決めていました。

2つ目の高校は、もし1つ目も高校を受けることを反対された時にはそこを受けようと思って決めた高校です。

その高校は、家から近いため反対されることはないだろうと思いそこが良いかなと考えていました。

私立は絶対にダメだと言われていたため、私立は滑り止めでどこか受けようと考えていました。

 

中3になり、母に高校どこ受けるつもりなのかを聞かれ、

答えたら、案の定第一希望は反対されました。

「県外にお前を出したら絶対に男と遊ぶに決まっている」と言われました笑

少し変わった高校だったのも気に入らなかったようです。

反対されることはわかっていたので、そこまでのショックはありませんでした。

 

最初第2希望を言った時は、公立で家から近いので母は「そこにしなよ」と言ってくれました。

ですが、母は女子校に行って欲しかったらしく(男がいないため)、

公立で女子校を探していました。

公立で女子校となると、頭のいい高校しかなく私には無理でした。

 

 

それで、母が見つけたのが私立で私が入れそうな女子校です。

お金がないから、私立だけはダメと言っていたのにその高校だけはOKでした。

 

でも私は、第2希望だった公立に入ろうときめていたので、

その女子校はあまり興味がありませんでした。

 

女子校の説明会には一応いこうよといわれ、

滑り止めですが一応受ける高校なので説明会に行くことにしました。

 

説明会に行き、母は気に入ったらしく、もう私立でいいからここにしなよと言ってきました。

 

私は、公立を受けたいためもしダメだったらここに入るよと言いましたが、

母は、私のことなど考えておらず私立を押し付けてきました。

 

 

長くなりそうなので、一旦ここまでにします。

続きは次回書きます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

女性らしい魅力が溢れたブランド【Lily Bputique(リリーブティック)】

 

毒親に育てられた私と母親の話。【勉強と部活】

毒親に育てられた私と母親の話。【部活】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

今回は、中学の時の勉強と部活に対しての母について書いていこうと思います。

 

 

私は、勉強が得意ではありませんでした。

そのため、父には勉強ができない分、好きなことを頑張りなと言ってくれました。

私は、頑張れば高校を部活推薦で入れると言われていたため部活を頑張ることにしました。

 

父はそれでいいと言ってくれていたものの、

母は、勉強も部活もどっちもちゃんとやれとのことでした。

 

勉強も頑張りましたが、いつも順位は最後から数えた方が早い順位でした。

 

それを見た母は、

「今すぐ部活をやめろ。」と言いました。

いやだと言っても聞いてはくれず、学校に電話をするといい「やめさせてもらいます」と電話をしていました。

 

次の日に先生に呼び出され、

本当にやめるのかを聞かれ、やめたくないと言ったら、

母を説得してくれました。

 

なぜか母は、私がやめたいと言っていたと伝えていました。

 

家に帰ると母は、

「お前のせいで恥をかいた、恥ずかしい」とずっと言っていました。

 

いつも、お前のせいで恥をかいただなど、

私のせいにしていました。

 

部活は続けることは許されましたが、

いつも通り、部活をして帰ってくると文句を言っていました。

 

きっと勉強ができていても、

部活をして帰りが遅くなることが気に入らず文句をいって

やめさせようとしていたと思います。

 

母は基本私を褒めてくれることはなく、

部活で成果を出しても褒めることはありませんでした。

 

 

ただ、テストの点数がいつもより良かった時は

少しだけ褒めてくれました。

勉強ができる子になって欲しかったみたいです。

 

この時期は

期待通りの子供に慣れなかった。

もっと自分が勉強できれば褒められることも多かったのかな。

などとよく考えていました。

 

 

次回は、高校受験の時のことをかいていきます。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

ノロウイルス対策アマゾンNo1除菌消臭剤チャーミスト

 

毒親に育てられた私と母親の話。【お風呂】

毒親に育てられた私と母親の話。【お風呂】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

今回は、お風呂でのことを書いていこうと思います。

 

 

 私は、中学2年まで、母と一緒にお風呂に入ることが決められていました。

頭を洗う、体を洗うのも母がやっていました。(これは、小学5年ごろまで)

小学4年くらいの時、母と一緒にお風呂に入らなければならないというルールに疑問を持つようになりました。

幼馴染は一人でお風呂に入っていることを知り、

私も一人で入りたいなと思い、母に一人で入りたいと伝えました。

 

すると母は、「お前が一人で風呂に入れるわけがない、お前にはまだ無理だ。」と言われました。

その時は母の言うことが絶対で、その言葉を言われた時は、

私には、まだ無理なんだと思いました。

 

小学5年の時に、泊まりの校外学習がありました。

 

 

それが終わり、一人でお風呂に入れるし自分で洗えると伝えたところ、

「一人で入れて、自分で洗えるのはわかったけど、絶対に一人では入らせない」と言われてしまいました。

 

母の監視のもと、お風呂に入り頭を洗っていると「こうじゃない、ああじゃない」とよく言われていました。

 

機嫌が悪いと、お湯を水に切り替えられました。

冬でも関係なしに水をかけられていました。

私は、それまではプールなど水遊びなどが好きだったのですが、

それ以来水が怖くなり、

顔に水がつくのもダメで、プールにも入れなくなってしまいました。

 

水を掛けられて泣いている私をみて母は楽しそうでした。

 

中学生になると、

こうじゃないなど言われなくなりましたが、相変わらず一緒に入らなきゃいけないことは決まっていました。

 

中2を境に一緒に入らなくなるのですが、

特に理由はなく、今日から一人で入れといわれました。

 

でも、なぜか母は私がお風呂に入っていると

5分おきに見にくるようになり、

5分以内に出てこいと言われるようになりました。

冬場は10分以内と決まっていました。

 

以前にも書いたように、

母に決められたいたことはたくさんありました。

 

それに関してはまた書いていこうと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

ランジェリーブランド【Belle(ベル)】

 

プライバシーポリシー

運営者情報

運営者:ちぃ(@dokuoya_chii)

 

プライバシーポリシー

毒親に育てられた私と母親の話。」(以降「当サイト」と呼びます)のプライバシーポリシーについて、以下の通り記載します。

 

当サイトに掲載されている広告について

Google Adsense

当サイトは第三者配信の広告サービス「Google Adsense グーグルアドセンス」を利用しています。

広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた広告を表示するためにCookie(クッキー)を使用することがあります。

Cookie(クッキー)を無効にする設定およびGoogleアドセンスに関する詳細は広告 – ポリシーと規約 – Googleをご覧ください。

 

Amazonアソシエイト

当サイトは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

その他

また、当サイトは以下の第三者配信広告サービスを利用しています。

このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するためにCookie(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません)を使用することがあります。

 

当サイトが使用しているアクセス解析ツールについて

当サイトは、GoogleAnalyticsによるアクセス解析を行っております。

Googleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。

このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。

データの収集・処理される仕組みについては、こちらをご参照ください。

ユーザーが Google パートナーのサイトやアプリを使用する際の Google によるデータ使用

Cookieを無効にし、収集を拒否することも出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。

 

個人情報の利用目的

当サイトではお問い合わせなどの際に、名前(ハンドルネーム)、メールアドレス等の個人情報をご登録いただく場合がございます。

これらの個人情報は質問に対する回答や必要な情報を電子メールなどをでご連絡する場合に利用させていただくものであり、個人情報をご提供いただく際の目的以外では利用いたしません。

 

個人情報の第三者への開示

当サイトにおいて個人情報は適切に管理し、以下に該当する場合を除いて第三者に開示することはありません。

  • 本人のご了解がある場合
  • 法令等への協力のため、開示が必要となる場合
当サイトの著作権について

当サイトの文章・画像・動画等の著作物の情報を無断転載することを禁止します。

 

免責事項

当ブログをご利用になったことで生じたいかなる損失・損害について、当方では責任を負いかねます。予めご了承ください。

また、記事の作成にあたって十分に調査をし、いつ時点の情報なのかを明確にしてできる限り最新の情報を提供できるように努めておりますが、情報が正確でない(古い)場合もありますのでご了承ください。

毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた下着】

毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた下着】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

前回は母が決めた服でしたが、今回は母が決めた下着の話を書いていきたいと思います。

 

 

母は服だけでなく、下着まで指定してきました。

 

小学生低学年の時は特に気にしなかったのですが、

高学年になり、身体が成長するにつれて胸のことを気にするようになりました。

 

母は私の胸の成長に気がついていましたが、

私が新しい下着が欲しいと言うまで買ってはくれませんでした。

 

私が、スポブラでもいいから新しい下着を買って欲しいと言うと、

いいけど、お前が選ぶ権利はないと言いました。

まぁ買ってもらえるようなのでその時は文句は言いませんでした。

 

地味なスポブラを買うと思っていたのですが、

その日の母は機嫌がとてもよく、私に選ばせてくれて可愛い下着を買ってもらうことができました。

 

 でも何日か経つと、買った下着に文句を言ってきました。

 

「そんな下着つけて何するつもり?男に見せるの?」などなど・・・。

まだ小学生なのに・・・笑

 

それからは、母が買ってきた下着を身につけるよう言われました。

 

これは、中学卒業まで続きました。

 

高校に入り、あまり下着について言われることはなくなりましたが、

ときどき私のクローゼットを見ていました。

 

母の気にくわない下着があると、ゴミ箱にわざと見えるように捨ててあったりもしました・・・。

 

私が男と遊んでると思ったら、携帯・下着は必ずチェックしていました笑

 

今日はここまでにします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 ---------✂︎---------✂︎---------✂︎---------✂︎---------

宣伝みたいになるのですが、

母に下着を指定されてた反動か、

母から離れてからプチプラで可愛い下着を集めるようになりました笑

オススメのサイトがあって 

【おしゃれで可愛いランジェリーブランド【Belle(ベル)】

ここがオススメです。

可愛い下着やちょっと変わった下着があります♡

ぜひ見てみてください☺︎

毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた服】

毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた服】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

今回は、母が決めていた私の服装を書いていきます。

 

 

基本的に何でも決めたっがっていて、

私の服装も決めていました。

 

小学生の時は必ず、朝起きるとその日の服が出されていました。

夏場はTシャツにハーフパンツか長ズボン、

冬場はトレーナーに長ズボンでした。

基本スカートやショートパンツは履かせてもらえることはありませんでした。

 

一度父が、女の子だからと可愛いスカートを買ってくれ、

父が買ったので母は何も言えず、

その父が買ってくれたスカートだけは履くことが許されていました。

 

 

中学生の時は、

大抵制服がジャージだったのですが、

休日はやっぱり母が決めた服でした。

しかもダサい笑

小学生の時は文句は言いませんでしたが

中学生になるとこんなダサい服を着て外には出たくないと思うようになり、

中学のジャージでいる方がマシで、

ジャージで外出するようになりました。

あまり友達と出かけることはなく、母の付き添いの買い物くらいでした。

 

中2の時に同じクラスになった少し派手めの子と仲が良くなり、

流行っている服など、読んでいる雑誌などを教えてもらうようになりました。

それから、自分で服を選びたくなり、

祖母にもらったお年玉やお小遣いで服を買いに父に連れて行ってもらったことがあります。

自分で買うので母は何も言ってこなかったのですが、

帰宅すると、買ったものを見せろと言われ、

見せると「何この服、ダサくて恥ずかしい。」と言われました笑

お前が選んだ服よりマシだろと思いました笑

 

その服をきた友達と遊びに行くと、

母は必ず「だっさ、そんなの着て行ったら嫌われるね。」

スカートを履いていれば、「男だろ、そんな脚だして気持ち悪い」と言われていました。

 

何かあるとすぐ男に結びつけるのは何だったのでしょう・・・。

 

自分の着たい服を変えましたが、

母と出かける時は、母が決めた服かジャージでした。

 

母は服だけでなく、下着も指定してきました。

その話はまた次回書こうと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

 

キッズファッション【J KIDS】

毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母④】

毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母④】

f:id:dokuoyacii:20200206004731j:plain

 今回もまた前回の続きの私を監視する母について書いていきます。

 

 

前回までは、携帯のみの監視でしたが

今回から、私の持ち物、財布の中身を見始めます。

 

母は、私が寝た後、入浴中などに私のカバンの中や財布の中身を見ていました。

 

私は、何か言われるのが面倒だったため、

レシートは全て捨てるようにしていました。

 

でも、昨晩と残金が違うことに気がついた母は、

「レシートは捨てずに全部もらってこい。」と言いました。

 

しかたなくレシートをちゃんと持って帰ることにしました。

ただ、自販機など学食の券売機などレシートが出ないこともあります。

そこに関しては、私はどうしようもできない、でないものは仕方ないと言いましたが、

母は気に入らなかったため、自販機、券売機などレシートが出ないものを禁止にしました。

 

お昼ご飯は、お昼ごはん飲み物はレシートがでるコンビニで買うことを指定されました。

それで母は満足をしてしばらくはおとなしかったのですが、

一度、自分で生理用品を買った時にレシートを見られ、

なぜかとても怒られました。

前まで、母が用意をしていたものを使っていたのですが、

私には合わなかったため自分で買うことにしました。

何で自分で買うんだ、家にあるやつを使え、気に入らないなら言えば良かったのになど言われましたが、

違うのがいいと母に言ってもどうせ文句を言うなと言われるのは、

わかっていたため言いませんでした。

 

カバンの中は見られても何もなかったため何か言われることはありませんでしたが、

毎日カバンの中身をチェックしていました。

 

 

母にとって私は母の所有物だったため、何もかも指定したがっていました。

 

母の満足のいく行動をして、母の決めた持ち物を持って生活をしていたことを

振り返るとバカバカしく思えます。

 

今回はここまでにします。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

プチプラファッション通販【セゾンドパピヨン】

 

 

全身脱毛ならC3