毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母③】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母③】
今回は前回の続きから書いていきます。
前回↓
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私はメールを削除していたため、母は別れたと思い携帯を見たり何か言ってくることはなくなりました。
ある日、学校の帰りに彼の家に行った日がありました。
母に言ったら確実に怒られるので、母には学校のことで少し帰りが遅くなると伝えていました。
たまたま母も予定があったらしく家にはいなくて帰宅するところを見られることはありませんでした。
ところが、外出先で何かあったのかとても不機嫌で帰ってきました。
帰ってきてすぐ私に携帯を手に取り、突然チェックが入りました。
メールは消していたので、見られてもいいやと思っていたところ、
母がチェックしている間に彼からメールが来てしまいました。
念のためアドレス登録はしていなかったのですが、
そのメールは母に見られてしまいました。
そのメールは「今日はありがとう、楽しかった」とかそんな内容でした。
それを見た母は、遊んでいたことよりも相手が誰なのかが気になり
私を問いただしました。
もう嘘ついても面倒だし、正直に彼氏と答えました。
すると、相手はどこの誰だなどを気にし始め、
中学の同級生であることを伝えました。
名前を言うと、「まま、ここのお母さん好きじゃないんだよね。この子も頭悪そうで嫌だ。ブサイクだし。」などとグチグチ文句を言い始めました。
その時は別れろなど言ってこなかったのですが、
母の監視はひどくなりました。
毎日帰宅すると携帯のチェックが始まり、学校が終わる時間になると返事をするまでしつこく何時に帰るのとメールをしてきました。
このころから、
携帯だけではなく、私の持ち物、財布の中身なども見るようになりました。
ここから先は、また次回書いていこうと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母②】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母②】
今回は前回書いた【私を監視する母】の続きを書いていこうと思います。
前回、母が家の2階から私を見ている話を書きましたが、
今回は携帯でのことを話します。
中学3年の時に父に携帯を買ってもらいました。
母は気に食わない様子でした。
家で色々設定をしていると、母がロック番号を指定してきました。
携帯を使っていない時は、母のPCデスクに置くようにとも言われていました。
友達とアドレスを交換し、メールをしていると
私が寝た後にロック解除して全部内容を見ていました。
中学の卒業式の時、クラスの男子ともアドレスを交換しました。
家に帰ると、母が私のアドレス帳を確認し男だとわかったら削除をしていました。
「やめてよ。」というと「男とばっか連絡先交換しやがって、このくそ女」と言われました。
友達だから何もないと言ってもそんなことは信じてもらえずw
まあ女の子としか連絡は取らないだろうと思い、母の好きにさせました。
高校は女子校だったため、男子との関わりはなくそこは安心?していたようであまり携帯を勝手に見ることは減りました。
が、、、、
高1の冬に彼氏ができ、メールをよくしていました。
私が、携帯をよく触っているのを見た母は、また携帯のチェックをし始めました。
彼氏がいると知った母は、「早く別れろ、このあばずれ。」と私に言い、
彼に電話をしようとしていました。
「やめて、勝手にそんなことしないで。」と言っても止まらず・・・
母は、彼に電話をしました。
幸い、彼はバイト中だったためでなかったのが良かったです。
すると母は、「電話に出ないなんて最低な男だな、お前嫌われてるんだね」と楽しそうに笑いながら言いました。
嫌われてると思い込ませ、別れさせようとしたのでしょうかw
私はこれ以上母に干渉されたくなかったため、怒られるとわかっていながらロック番号を変えました。
すぐに母は気がつき、元に戻せ、戻すまで学校には行かせないし携帯も没収と言われてしまったため仕方なしに元に戻しました・・・。
母に見られるのが嫌だった私は彼とのメールは全て削除していました。
別れたと母は思いしばらくは携帯を見たり、何か言ってくることはなくなりました。
長くなりそうなので
一旦ここまでにします。
続きは次回書いていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母】
今日は、私を監視している母の話を書いていこうと思います。
母はいつも私のことを監視していました。
私が出かける際は、2階の窓から見えなくなるまでずっと見ていました。
心配だからと母は言いますが、実際は私がちゃんと一人で行くかを見ていました。
私は中学生の時に1つ習い事を始めたのですが、
その際も2階からずっと見ていました。
ある日、習い事に行く時に家の近くで同級生の男の子とばったりあい、話しながら歩いているのを母に見られていました。
私は見られていることに気がついていましたが、別にただの同級生で何もやましいことはないので気にしていませんでした。
ところが母は、私が待ち合わせをしていたと思い込んでいました。
習い事にちゃんと行ったかを習い事先に電話をしていました。
サボると思っていたのでしょう。
習い事が終わり家に帰宅すると母に、
「あの男は誰だ、待ち合わせしていたんだろ、くそ女」と言われました。
「ただ家の近くでたまたま会っただけで、彼とはなんでもない。」
と言ったところ、
「じゃあ電話して本当か証明しろ」と言われましたが、
さすがに迷惑だし嫌だと言いました。
ぐちぐちずっとくそ女など言ってましたが私は面倒なので無視をしました。
高校に入った時も、
バス通学でバス停が家の目の前だったので、毎朝バスに乗るまでを母は見ていました。
帰りも何時のバスに乗るのかを報告をしなければならず、
何時着かを母は見て、その時間になると2階から見ていました。
窓から見ているんじゃなくて外に出てくればいいのにと思っていました。
一度委員会で、帰りが遅くなり先生が家まで送ってくれたことがあったのですが、その時は「あれは誰だ、彼氏か?気持ち悪い」と怒り狂っていました。
「委員会で遅くなったから、先生が送ってくれた」と伝えても、
「見え透いた嘘をつくな、先生が送ってくれるはずがない」とずっと怒っていました。
確認すればいいじゃんと言うと、
明日確認するといい、本当に学校に電話をし確認をしていました。笑
家に帰ると、「本当だったんだね。意味もない質問をしてお前のせいで恥をかいた」と言われました。
勝手に自分が勘違いをしただけなのに・・・。
母が勝手に勘違いをして、
勝手に怒ったり、わざわざ確認をすることがよくありました。
私からしたら迷惑だし、自分の母がこんななのが恥ずかしかったです。
今日はここまで、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話。【母に決められた休日の過ごし方】
毒親に育てられた私と母親の話。【母に決められた休日の過ごし方】
今日は、母に決められた休日の過ごし方について書いていきます。
小学生の時の休みの日は遊びに行くことは禁止されていて、
土日は必ず家族で出かけると決まっていました。
出かけると言っても近所のスーパーに食材を買いに行くだけでした。
その際も、必ず母の後ろを歩いていなければなりませんでした。
少しでも離れれば文句を言われ、横を歩いても文句を言われ、話しかけるのもダメでした。
中学生になると、部活に入り土日は大抵部活で家にはいませんでした。
ですが、部活が休みの日になると買い物に行くよと言われ、買い物に一緒に行っていました。
中学生になっても、後ろを歩く話しかけてはいけまんでした。
一緒に行く意味があるのかわからず、一度今日は行かないと断ったことがあります。
すると、母は怒った口調で「なんで?やましいことでもあるの?出かけてる間に勝手にどこかに出かけるんだろ。男か?」と言われました。
母は、私の行動を監視するために買い物に連れていたみたいです。
ある日、部活が休みの日に部活の先輩たちに遊びに行こうよと誘われたので、駄目元で母に先輩たちと遊びに行っても良いかと聞くと機嫌が良かったのか、許可がおりました。
でも当日になると、ぐちぐち文句を言っており突然条件が出されました。
1つ目がスカートを履いていくな、
2つ目が先輩たちだという証拠を撮ってこい、
3つ目が16時までに帰ってこい と条件が出されました。
スカートを履くな、証拠を撮ってこいというのは、男だと疑っていたためです。
16時までに帰ってこいの理由はよくわかりません。
1秒でも過ぎたら家には入れないと言われたため、早く切り上げて帰宅しなければなりませんでした。
先輩たちに帰るの早くない?まだ遊ぼうよ。と言われましたが母の言うことは絶対だったため帰宅しました。
家に帰ると、証拠の写真を見せました。
そしたら、自分がその条件を出してきたにも関わらず、「本当に撮ってきたんだ。バカじゃないの?え、スカート履けばよかったのに、ダサいね」と言われました。
男じゃないとわかった途端、母が言ったことを守った私を笑いました。
いつもそうでした。
母の提示した条件、約束を素直に私は守っているのに守っている私を半笑いで見て楽しんでいました。
そのうち、バカバカしくなり守っている風に過ごしていました。笑
母は気がついていませんでした。
それほど私を見ていなっかたのでしょう。
今回はここまでにします。
次は母の監視について書いていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話。【母の決めたルール】
毒親に育てられた私と母親の話。【母の決めたルール】
今回は母に決められていた謎のルールについて書いていこうと思います。
母はなんでも私のすることを決めたがっていました。
見ていい番組とダメな番組があり、基準がいまいちよくわかりませんでした。
低学年の頃から歌番組を見ることが禁止されていて、
高学年になるとドラマを見ることも禁止されていました。
アニメは、土日にやっているもの、ジャンプ系は見ても良いことになっていました。
見てはいけない番組が多いせいで、友達との会話にはなかなか入っていけませんでした。
食事の際も、10分以内に食べ終わらないとそれ以降は食べてはいけない、食事をしている時はスープなど汁物以外の水分はとってはいけないというルールもありました。
子供が食事をするのに、10分はとても短く食べきれないことが多く、飲み物を飲んではいけないことも結構しんどかったです。
でもたまに、時間を過ぎても全部食べないといけない日がありました。
大抵、私の嫌いなものが入っている時です。
高学年になり、10分以内に食べ切れるようになり食事中に怒られることは減りました。
あとは、生理が来たことを毎月報告しなければなりませんでした。
母に報告をしないとなんで隠してるんだ。とよく怒られていました。
生理不順だったため、遅れたり来ない月もあったのですが、
遅れたり、来なかった時は妊娠を疑われていました笑
これは高校2年ごろまで続きました。
他にも細かいルールはたくさんありました。
母の謎のルールは私だけに言い、妹はそこまで言っていることはありませんでした。
なんで私だけなんだろうと不思議でした。
今日はここまで、
最後まで読んでいただきありがとうございました。
出産祝いに、ドレスライクのお食事エプロン【MARLMARL】
毒親に育てられた私と母親の話。【包丁】
毒親に育てられた私と母親の話。【包丁】
今回は、母が暴力をやめたきっかけの話をします。
父が私の足に痣があることに気がついて、私にどうしたのかを聞いてきたので母に蹴られてできた痣だと正直に答えました。
それを聞いた父が母になぜ痣ができるまで蹴ったのかを問いただしていました。
当然母は私じゃないと全く違うことをはなしていました。
父は母の言ってることを信じたのか、私に嘘をつくなよ。といいました。
信じてくれなかったことはショックでした。
基本的には母父の前では猫をかぶっていて、私の前と父の前では別人でした。
だから、母のことを信じたのでしょう・・・。
ところが、父が知らない母のやばい姿が父に目撃されてしまいました。
父が買い物に行くと外に出た後、
母にチクったなと怒鳴られ、殴られていました。
怒鳴る、殴るに夢中になっていたのか、父が帰宅したことに気づかず私に暴力を振るっていたのを父に目撃されてしまいました。
その時、私はラッキーと思ったのですが、
その後事件が・・・。
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見られて、気が狂ったのか母はキッチンに行き包丁を持ってきました。
母の顔を見てやばいと思った父が母をなだめに入りました。
なんの怒りかわからないのですが、母は父に対しても私に対してもとても怒っていました。
殺してやるなどと言っており、やばいと思いましたが怖くてその場から動けませんでした。
母は包丁を振り回し、父がそれを止めに入って私も止めに行こうとした時、
私の胸付近に包丁が当たり血がたくさん出るほどの傷ができてしまいました。
それを見た母は我に返ったのか、動きが止まりました。
救急車を呼ぶとなったのですが、わたしはなぜかそれを拒否。
あの時病院に行って虐待だとなれば私の人生も変わったんだろうなとよく考えます。
父に傷を手当てしてもらい、話し合いが始まりました。
離婚の話が出ており、離婚してくれればよかったのですが、離婚はせず母は私に手をあげないという条件でその話は終わりになりました。
私は怪我をしましたが父が目撃したせい?おかげ?で母からの暴力はぴたっと止まりました。
言葉の暴力は止まりませんでしたが、
鼻血が出るほど顔を殴られたり、息ができないほど蹴られたりするよりはマシだったので我慢していました。
あの時の傷跡はいまだに残っています。
あの日のことは忘れません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話【誘拐されそうになった時の話。】
毒親に育てられた私と母親の話。【誘拐されそうになった時の話。】
今回は、私が小学生の時に誘拐されそうになった時の話を書きたいと思います。
私は小学5年生の時、一度誘拐されそうになったことがあります。
それは下校途中のことでした。
友達と別れて、割と家の近所を一人で歩いていた際に、
車がゆっくり後ろから近づいてきました。
すると、車の中から男の人に「ここに行きたいんだけど、どう言ったらいいかわからないから、一緒に車に乗って案内してくれない?」と話しかけられました。
一緒には行けないと伝え、その場を去ろうとしたところ腕を掴まれ車に乗せられそうになりました。
びっくりし、精一杯の力で振り払い、自宅まで走って行きました。
怖くて、家がバレないようになど考えることもできず、家に駆け込みました。
母がいたので、今知らない男の人に腕を掴まれて車に乗せられそうになったと伝えたところ、母は、心配するどころか私にビンタしました。
「すぐ近くでそんなことされたのに、家に入ってくるな。家がバレて何かあったらお前のせいだからな。」と言われました。
私の心配より自分のことでした。
「ああめんどくさい、学校に連絡しなきゃ、そもそもで誘拐されそうになるのはお前が悪い」などとその日はずっと言われ続けました。
危ない目にあったのになぜこんなに怒られなきゃいけないのかわかりませんでした。
私が悪かったのでしょうか・・・。いわなければよかったのか・・・。
何を言ったら母に怒られるのかわからず、あまり話さなくなりました。
今日はここまでにします。