毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた下着】
毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた下着】
前回は母が決めた服でしたが、今回は母が決めた下着の話を書いていきたいと思います。
母は服だけでなく、下着まで指定してきました。
小学生低学年の時は特に気にしなかったのですが、
高学年になり、身体が成長するにつれて胸のことを気にするようになりました。
母は私の胸の成長に気がついていましたが、
私が新しい下着が欲しいと言うまで買ってはくれませんでした。
私が、スポブラでもいいから新しい下着を買って欲しいと言うと、
いいけど、お前が選ぶ権利はないと言いました。
まぁ買ってもらえるようなのでその時は文句は言いませんでした。
地味なスポブラを買うと思っていたのですが、
その日の母は機嫌がとてもよく、私に選ばせてくれて可愛い下着を買ってもらうことができました。
でも何日か経つと、買った下着に文句を言ってきました。
「そんな下着つけて何するつもり?男に見せるの?」などなど・・・。
まだ小学生なのに・・・笑
それからは、母が買ってきた下着を身につけるよう言われました。
これは、中学卒業まで続きました。
高校に入り、あまり下着について言われることはなくなりましたが、
ときどき私のクローゼットを見ていました。
母の気にくわない下着があると、ゴミ箱にわざと見えるように捨ててあったりもしました・・・。
私が男と遊んでると思ったら、携帯・下着は必ずチェックしていました笑
今日はここまでにします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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宣伝みたいになるのですが、
母に下着を指定されてた反動か、
母から離れてからプチプラで可愛い下着を集めるようになりました笑
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毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた服】
毒親に育てられた私と母親の話。【母が決めた服】
今回は、母が決めていた私の服装を書いていきます。
基本的に何でも決めたっがっていて、
私の服装も決めていました。
小学生の時は必ず、朝起きるとその日の服が出されていました。
夏場はTシャツにハーフパンツか長ズボン、
冬場はトレーナーに長ズボンでした。
基本スカートやショートパンツは履かせてもらえることはありませんでした。
一度父が、女の子だからと可愛いスカートを買ってくれ、
父が買ったので母は何も言えず、
その父が買ってくれたスカートだけは履くことが許されていました。
中学生の時は、
大抵制服がジャージだったのですが、
休日はやっぱり母が決めた服でした。
しかもダサい笑
小学生の時は文句は言いませんでしたが
中学生になるとこんなダサい服を着て外には出たくないと思うようになり、
中学のジャージでいる方がマシで、
ジャージで外出するようになりました。
あまり友達と出かけることはなく、母の付き添いの買い物くらいでした。
中2の時に同じクラスになった少し派手めの子と仲が良くなり、
流行っている服など、読んでいる雑誌などを教えてもらうようになりました。
それから、自分で服を選びたくなり、
祖母にもらったお年玉やお小遣いで服を買いに父に連れて行ってもらったことがあります。
自分で買うので母は何も言ってこなかったのですが、
帰宅すると、買ったものを見せろと言われ、
見せると「何この服、ダサくて恥ずかしい。」と言われました笑
お前が選んだ服よりマシだろと思いました笑
その服をきた友達と遊びに行くと、
母は必ず「だっさ、そんなの着て行ったら嫌われるね。」
スカートを履いていれば、「男だろ、そんな脚だして気持ち悪い」と言われていました。
何かあるとすぐ男に結びつけるのは何だったのでしょう・・・。
自分の着たい服を変えましたが、
母と出かける時は、母が決めた服かジャージでした。
母は服だけでなく、下着も指定してきました。
その話はまた次回書こうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母④】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母④】
今回もまた前回の続きの私を監視する母について書いていきます。
前回までは、携帯のみの監視でしたが
今回から、私の持ち物、財布の中身を見始めます。
母は、私が寝た後、入浴中などに私のカバンの中や財布の中身を見ていました。
私は、何か言われるのが面倒だったため、
レシートは全て捨てるようにしていました。
でも、昨晩と残金が違うことに気がついた母は、
「レシートは捨てずに全部もらってこい。」と言いました。
しかたなくレシートをちゃんと持って帰ることにしました。
ただ、自販機など学食の券売機などレシートが出ないこともあります。
そこに関しては、私はどうしようもできない、でないものは仕方ないと言いましたが、
母は気に入らなかったため、自販機、券売機などレシートが出ないものを禁止にしました。
お昼ご飯は、お昼ごはん飲み物はレシートがでるコンビニで買うことを指定されました。
それで母は満足をしてしばらくはおとなしかったのですが、
一度、自分で生理用品を買った時にレシートを見られ、
なぜかとても怒られました。
前まで、母が用意をしていたものを使っていたのですが、
私には合わなかったため自分で買うことにしました。
何で自分で買うんだ、家にあるやつを使え、気に入らないなら言えば良かったのになど言われましたが、
違うのがいいと母に言ってもどうせ文句を言うなと言われるのは、
わかっていたため言いませんでした。
カバンの中は見られても何もなかったため何か言われることはありませんでしたが、
毎日カバンの中身をチェックしていました。
母にとって私は母の所有物だったため、何もかも指定したがっていました。
母の満足のいく行動をして、母の決めた持ち物を持って生活をしていたことを
振り返るとバカバカしく思えます。
今回はここまでにします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母③】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母③】
今回は前回の続きから書いていきます。
前回↓
ママサイズも2400円から買えちゃうプチプラ子供服「pairmanon(ペアマノン)」
私はメールを削除していたため、母は別れたと思い携帯を見たり何か言ってくることはなくなりました。
ある日、学校の帰りに彼の家に行った日がありました。
母に言ったら確実に怒られるので、母には学校のことで少し帰りが遅くなると伝えていました。
たまたま母も予定があったらしく家にはいなくて帰宅するところを見られることはありませんでした。
ところが、外出先で何かあったのかとても不機嫌で帰ってきました。
帰ってきてすぐ私に携帯を手に取り、突然チェックが入りました。
メールは消していたので、見られてもいいやと思っていたところ、
母がチェックしている間に彼からメールが来てしまいました。
念のためアドレス登録はしていなかったのですが、
そのメールは母に見られてしまいました。
そのメールは「今日はありがとう、楽しかった」とかそんな内容でした。
それを見た母は、遊んでいたことよりも相手が誰なのかが気になり
私を問いただしました。
もう嘘ついても面倒だし、正直に彼氏と答えました。
すると、相手はどこの誰だなどを気にし始め、
中学の同級生であることを伝えました。
名前を言うと、「まま、ここのお母さん好きじゃないんだよね。この子も頭悪そうで嫌だ。ブサイクだし。」などとグチグチ文句を言い始めました。
その時は別れろなど言ってこなかったのですが、
母の監視はひどくなりました。
毎日帰宅すると携帯のチェックが始まり、学校が終わる時間になると返事をするまでしつこく何時に帰るのとメールをしてきました。
このころから、
携帯だけではなく、私の持ち物、財布の中身なども見るようになりました。
ここから先は、また次回書いていこうと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
ママサイズとお揃いで買っても5000円未満のプチプラ子供服「pairmanon(ペアマノン)」
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母②】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母②】
今回は前回書いた【私を監視する母】の続きを書いていこうと思います。
前回、母が家の2階から私を見ている話を書きましたが、
今回は携帯でのことを話します。
中学3年の時に父に携帯を買ってもらいました。
母は気に食わない様子でした。
家で色々設定をしていると、母がロック番号を指定してきました。
携帯を使っていない時は、母のPCデスクに置くようにとも言われていました。
友達とアドレスを交換し、メールをしていると
私が寝た後にロック解除して全部内容を見ていました。
中学の卒業式の時、クラスの男子ともアドレスを交換しました。
家に帰ると、母が私のアドレス帳を確認し男だとわかったら削除をしていました。
「やめてよ。」というと「男とばっか連絡先交換しやがって、このくそ女」と言われました。
友達だから何もないと言ってもそんなことは信じてもらえずw
まあ女の子としか連絡は取らないだろうと思い、母の好きにさせました。
高校は女子校だったため、男子との関わりはなくそこは安心?していたようであまり携帯を勝手に見ることは減りました。
が、、、、
高1の冬に彼氏ができ、メールをよくしていました。
私が、携帯をよく触っているのを見た母は、また携帯のチェックをし始めました。
彼氏がいると知った母は、「早く別れろ、このあばずれ。」と私に言い、
彼に電話をしようとしていました。
「やめて、勝手にそんなことしないで。」と言っても止まらず・・・
母は、彼に電話をしました。
幸い、彼はバイト中だったためでなかったのが良かったです。
すると母は、「電話に出ないなんて最低な男だな、お前嫌われてるんだね」と楽しそうに笑いながら言いました。
嫌われてると思い込ませ、別れさせようとしたのでしょうかw
私はこれ以上母に干渉されたくなかったため、怒られるとわかっていながらロック番号を変えました。
すぐに母は気がつき、元に戻せ、戻すまで学校には行かせないし携帯も没収と言われてしまったため仕方なしに元に戻しました・・・。
母に見られるのが嫌だった私は彼とのメールは全て削除していました。
別れたと母は思いしばらくは携帯を見たり、何か言ってくることはなくなりました。
長くなりそうなので
一旦ここまでにします。
続きは次回書いていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母】
毒親に育てられた私と母親の話。【私を監視する母】
今日は、私を監視している母の話を書いていこうと思います。
母はいつも私のことを監視していました。
私が出かける際は、2階の窓から見えなくなるまでずっと見ていました。
心配だからと母は言いますが、実際は私がちゃんと一人で行くかを見ていました。
私は中学生の時に1つ習い事を始めたのですが、
その際も2階からずっと見ていました。
ある日、習い事に行く時に家の近くで同級生の男の子とばったりあい、話しながら歩いているのを母に見られていました。
私は見られていることに気がついていましたが、別にただの同級生で何もやましいことはないので気にしていませんでした。
ところが母は、私が待ち合わせをしていたと思い込んでいました。
習い事にちゃんと行ったかを習い事先に電話をしていました。
サボると思っていたのでしょう。
習い事が終わり家に帰宅すると母に、
「あの男は誰だ、待ち合わせしていたんだろ、くそ女」と言われました。
「ただ家の近くでたまたま会っただけで、彼とはなんでもない。」
と言ったところ、
「じゃあ電話して本当か証明しろ」と言われましたが、
さすがに迷惑だし嫌だと言いました。
ぐちぐちずっとくそ女など言ってましたが私は面倒なので無視をしました。
高校に入った時も、
バス通学でバス停が家の目の前だったので、毎朝バスに乗るまでを母は見ていました。
帰りも何時のバスに乗るのかを報告をしなければならず、
何時着かを母は見て、その時間になると2階から見ていました。
窓から見ているんじゃなくて外に出てくればいいのにと思っていました。
一度委員会で、帰りが遅くなり先生が家まで送ってくれたことがあったのですが、その時は「あれは誰だ、彼氏か?気持ち悪い」と怒り狂っていました。
「委員会で遅くなったから、先生が送ってくれた」と伝えても、
「見え透いた嘘をつくな、先生が送ってくれるはずがない」とずっと怒っていました。
確認すればいいじゃんと言うと、
明日確認するといい、本当に学校に電話をし確認をしていました。笑
家に帰ると、「本当だったんだね。意味もない質問をしてお前のせいで恥をかいた」と言われました。
勝手に自分が勘違いをしただけなのに・・・。
母が勝手に勘違いをして、
勝手に怒ったり、わざわざ確認をすることがよくありました。
私からしたら迷惑だし、自分の母がこんななのが恥ずかしかったです。
今日はここまで、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
毒親に育てられた私と母親の話。【母に決められた休日の過ごし方】
毒親に育てられた私と母親の話。【母に決められた休日の過ごし方】
今日は、母に決められた休日の過ごし方について書いていきます。
小学生の時の休みの日は遊びに行くことは禁止されていて、
土日は必ず家族で出かけると決まっていました。
出かけると言っても近所のスーパーに食材を買いに行くだけでした。
その際も、必ず母の後ろを歩いていなければなりませんでした。
少しでも離れれば文句を言われ、横を歩いても文句を言われ、話しかけるのもダメでした。
中学生になると、部活に入り土日は大抵部活で家にはいませんでした。
ですが、部活が休みの日になると買い物に行くよと言われ、買い物に一緒に行っていました。
中学生になっても、後ろを歩く話しかけてはいけまんでした。
一緒に行く意味があるのかわからず、一度今日は行かないと断ったことがあります。
すると、母は怒った口調で「なんで?やましいことでもあるの?出かけてる間に勝手にどこかに出かけるんだろ。男か?」と言われました。
母は、私の行動を監視するために買い物に連れていたみたいです。
ある日、部活が休みの日に部活の先輩たちに遊びに行こうよと誘われたので、駄目元で母に先輩たちと遊びに行っても良いかと聞くと機嫌が良かったのか、許可がおりました。
でも当日になると、ぐちぐち文句を言っており突然条件が出されました。
1つ目がスカートを履いていくな、
2つ目が先輩たちだという証拠を撮ってこい、
3つ目が16時までに帰ってこい と条件が出されました。
スカートを履くな、証拠を撮ってこいというのは、男だと疑っていたためです。
16時までに帰ってこいの理由はよくわかりません。
1秒でも過ぎたら家には入れないと言われたため、早く切り上げて帰宅しなければなりませんでした。
先輩たちに帰るの早くない?まだ遊ぼうよ。と言われましたが母の言うことは絶対だったため帰宅しました。
家に帰ると、証拠の写真を見せました。
そしたら、自分がその条件を出してきたにも関わらず、「本当に撮ってきたんだ。バカじゃないの?え、スカート履けばよかったのに、ダサいね」と言われました。
男じゃないとわかった途端、母が言ったことを守った私を笑いました。
いつもそうでした。
母の提示した条件、約束を素直に私は守っているのに守っている私を半笑いで見て楽しんでいました。
そのうち、バカバカしくなり守っている風に過ごしていました。笑
母は気がついていませんでした。
それほど私を見ていなっかたのでしょう。
今回はここまでにします。
次は母の監視について書いていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。